技術者の社会的責任とは

技術者の社会的責任とは

こっちは金を払っているんだからさっさとやれ

 

突然ですが、このように言われたらどうしますか?
もし、あなたが技術者として納得のいかない形で、
自分の技術力を発揮しないといけないとしたら・・。

 

例えば、会社が利益だけを追求する為に、安全性の欠けるシステムを設計しろと言われたら。

 

あるいは、反社会的な目的で用いられることが明白なプログラムを設計しろと言われたら。

 

僕は嫌です。

 

しかしもし事態に直面した場合「嫌です」と言い切れるのか、それは僕にも分かりません。

 

実は、この問題は技術者にとって根の深い問題だと思います。
技術者は常に、次の事を両立しなければなりません。

 

(1)自分の技術力を発揮して、その対価をもらって食べてゆく
(2)専門家として社会的な責任を果たす

 

(1)は、雇用者や顧客、つまり出資者に対して、出資者が要求する結果を提供することによって、その対価を得るという考え方です。

 

一方で(2)は、社会から全幅の信頼を置かれた立場として、金銭的な対価の為ではなく倫理的な観点から責務を果たす、という考え方になります。

 

この二つの考え方は、一致することもありますが、場合によっては相反することもあります。

 

これが技術者の人生を大変にするひとつの要素だと思うのです。

 

なぜ社会的責任を果たさなければならないのか

 

僕がこの事を真剣に考えるきっかけとなったのが、2007年の『渋谷温泉施設爆発事故』です。
事故の内容についてここで詳しく書くつもりはありませんが、かいつまんで書くと下記のような内容です。

 

  • 都心の温泉施設で、滞留したガスが原因で爆発事故が起きた。
  • ガスが滞留した主な原因は、機械による排出がうまくいかなかったこと。
  • 排出をする為の取扱注意事項が説明不十分として設計者が有罪になった。

 

実はこの「有罪」というのが僕には衝撃的でした。

 

責任があるかないか、とか、責任の所在、あるいは事の真偽について衝撃を受けたわけではありません。
(もちろん事故の発生自体は衝撃でしたが。)

 

技術者が発注者に対して設計契約に基づく責任を果たさなかったとすれば、その責任を問われるのは当然だと思います。

 

※繰り返しますが、真偽の程は別です。僕には知るすべがありません。

 

ちなみに、もし、設計契約に基づく責任を問われるのであれば、通常それは民事裁判による賠償請求という形をとります。
この事件ではもちろんそれも行われています。

 

しかし、刑事責任を問われるという事は別の次元の話なのです。

 

つまり「社会的責任を果たす義務」が公的に求められたということです。

 

僕自身は、技術者は社会的責任を果たすべきだと考えています。

 

しかし、それが刑事的に取り扱われるという判例を知り、僕は「技術者の社会的責任」について改めて考えざるを得ませんでした。

 

社会的責任を果たさなければならない理由。

 

今のところ僕が持っている答えは次のようなものです。
「技術者による高度な判断は、技術者にしか出来ないから」

 

社会的責任の見返りはあるのか、もしくは必要か

 

上記の考え方は、ノーブレス・オブリージュの考え方に似ています。
何らかの力を持つものは、社会全体の為にそれを行使するべきであるというような考え方です。

 

つまり、社会的責任の見返りは社会的地位であると考えるのがしっくりきます。

 

社会的責任に見返りが必要だ、と言ってしまうと、とても功利的に聞こえるかもしれません。
しかし、長い目で見た場合、責任と見返りのバランスが良い方が、社会の仕組みとして持続的なのではないか、と考えるのです。

 

ところで現状、技術者の社会的地位は果たして高いのでしょうか?

 

社会的地位という言葉自体はあいまいですが僕は次のような要素があると思います。

 

(1)特定の職業や立場に、優先的または独占的に就ける
(2)ある程度以上の報酬を得ることが社会的合意になっている
(3)社会から信用される

 

僕の実感としては、現状は技術者の社会的地位は必ずしも高くないと感じています。

 

社会的地位が高くなければ、社会的責任を果たさなくてよい、と考えているわけではありません。

 

むしろ逆に、社会的責任を果たし続けることが、結果として技術者全体の社会的地位向上に寄与するのでは、と思うのです。

 

技術者の社会的地位向上については、また別の記事で書きたいと思います。

 

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